五月雨登校とは?経験から考える起こり得る2つのこと

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「五月雨登校」という言葉をご存じですか?

私がこの言葉を知ったのはつい最近で、「今はこんな言葉があるのか」と思っていたのですが私自身不登校になる前にこの五月雨登校を経験していました。

今回は五月雨登校とは何なのか、そしてその状態から起こり得る2つのことについて、不登校を経験したからこそ言えることをお話ししていきます。

不登校を経験した身として言えるのは、学校に行くことを強制しても状況が改善されることはありません。しかし、学校に行かない間何もしなければ周りとの差は開くばかりです。

「やっぱり、学校に行かせないと」と思ってしまうかもしれませんが、自宅でもできることはたくさんあります。

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五月雨登校とは

五月雨登校(さみだれとうこう)とは毎日登校せずに、行ったり行かなかったりを繰り返すことです。

登校した次の日は休んだり、不定期で、週に3日登校するときもあれば1日しか登校しないときもあったり、登校頻度は人によって異なります。

実体験

私は中学の約1年間不登校で、この期間とは別に五月雨登校だった期間が2回あり、合計で約半年ほどは行ったり行かなかったりを繰り返していました。

何か、学校に行けなくなるような大きな出来事があったわけではなく、少しずつ少しずつ学校にいることに耐えられなくなっていき、学校に行かない日が増えていきました。

週1日だったのが2日、3日と休む回数が増え、登校しても授業を受けているときに「今日はもう無理だ」となってしまい、途中で帰ることもよくありました。

「何が」と聞かれても当時は私自身、何が嫌で学校にいることを苦痛に感じていたのかわからず、ただ「嫌だ」という感情ばかりが日に日に大きくなっていきました。

学校にいるとそわそわして落ち着かず、私にとって学校はとても居心地が悪い場所でした。

そんな状態が3か月ほど続いた1度目の五月雨登校の後、私は不登校になりました。


この経験から五月雨登校の後に起こり得る2つのことについてお話しします。

1.毎日➡五月雨登校

五月雨登校の結果起こり得ることの1つ目は

不登校

です。
流れとしては「まあ、そうなるよね」という感じではありますが実際に、毎日登校していた状態から五月雨登校になり学校に行かない日が増えていくとその後は不登校になることがほとんどです。

五月雨登校でも、休むのは週1日だけ、または特定の曜日だけでその他は登校している状態が長期間続いているのであれば不登校にならない可能性もありますが、休む頻度が高くなっていく場合現状維持はほぼないのでその後は不登校になると考えるのが自然だと思います。

なぜ五月雨登校になるのか

では、なぜ徐々に行かなくなるのでしょうか。

「行きたくない」と学校を休むようになるのであれば、その日を境に不登校になっても不思議ではありません。それなのに、休みながらでも学校に行き続けているのには理由があると私は考えます。

その理由とは


「行かないといけないから」です。

行きたくないけど行かないといけない、でも、、。と葛藤している状態が、不登校ではなく五月雨登校となっているのだと思います。

実際に経験した身としては、今お子さんがこの状況の方には、

「学校を休むことがあっても、本人も行かないといけないことはわかっている」ということをご理解いただきたいです。

不登校になるまで


「五月雨登校って行きたくないときは休んでいるのだから不登校にはならないのではないか」と思われるかもしれません。

ですが例えば先程の『行かないといけない』が、親が原因のものだった場合、本人が学校に行く理由をもっているわけではないのでモチベーションを維持することは難しいです。

それが親によるものではなく将来などを考えたときの自分自身による「行かないといけない」であっても、不安や、わかっているのに行けない焦りから精神状態は不安定で現状を維持することは難しいと思います。


実際に私は「行かないといけない」という思いから登校していましたがそれは前者の親によるものだったので長くは続かず不登校になりました。

私には不登校の兄弟がいて、そのことで親がたくさん悩んで精神をすり減らしていく様子をずっと見ていたので「私まで不登校になってはいけない。学校に行かないと。」とその一心で休みながらも学校に行っていました。

しかし「行けない、行きたくない。」がどんどん大きくなっていき、限界だと思った私は母に「もう行けない。」と伝えました。すると当然「なんで」と聞かれましたが、実体験に書いた通り当時の私はこの質問に対する明確な答えをもっていなかったのでしばらく黙り込んだ後、何とか言葉を捻りだして「楽しくないから。」と答えました。

返ってきたのは「学校に行くことに楽しいも楽しくないも関係ない。」という予想通りの言葉で、この答えを聞く前から母がどんな反応をするのかはわかっていたのに、当時は他にどう言えばいいのかわかりませんでした。

母の中で「行きたくないから」が行かない理由にならないこと、母の心にも余裕がないこと、ただ学校に行ってほしくて必死だったこと、どれも理解しているつもりでした。

私だってできることならそうしたいと、親に負担をかけたくないと、何度も自分に「大丈夫、大丈夫。」と言い聞かせながら、そうなれるように学校に行っていました。

ただ私はこの気持ちを一度も口に出したことはなく、実際客観的には気持ちに行動が伴っていなかったので母の反応は仕方がないのですが、当時の私の心には返されたその反応を「知っていた」で流せるほどの余裕はありませんでした。

「あなたの精神状態がどうであれ学校に行きさえすればそれでいい。」と言われているようで、負担をかけないようにしたいからという、唯一学校と自分を繋ぎとめていた理由がなくなってしまいました。

そしてその後すぐに私は不登校になりました。


誰かに感情を伝えることが苦手で頭の中では言い返したいことや思うことがたくさんあるのに、口に出そうとすると言葉が出てこなくていつも自分の中にしまい込むことが当たり前になっていました。

「この言葉を言えば母を傷つける」「これを言えば母を困らせる」そんなことばかり考えて、ずっと、わがままなきょうだいの分自分1人だけでもわがままを言わない子どもがいないといけないと行動してきたつもりでした。

これこそわがままかもしれませんが、母にはそんな私の性格を知っていてほしかっただけでした。葛藤して頑張って、でもダメだったことに気付いてほしかっただけでした。


今となってはお互いが一人で完結せずに、たとえ言い合いでもコミュニケーションを取っていればもう少し違っていたのかもしれないなと思います。

2.五月雨登校➡毎日

不登校ともう1つ、五月雨登校によって起こり得ることの2つ目は

毎日登校するようになる

です。

可能性として、全く学校に行っていない状態から少しずつでも学校に行くようになれば毎日行けるようになるかもしれないというだけで「頑張って行ってみたけどやっぱり無理」となることも当然あります。

ただ、どちらになったとしてもこれはとっても大きな1歩です。

保健室や別室登校であっても自分の意志で再び登校すると決意すること、そして足を踏み出すことは簡単ではありません。

怖くて不安で、そこまで気持ちをもっていくだけでもとても時間がかかります。

気持ちをもっていこうとしても、学校に行かない間言われ続ける「いつまでそうしているつもり?」「ずっと学校に行かずこの先どうするの?」の一言で気持ちが振出しに戻ってしまいます。


ようやく気持ちをつくって1日学校に行けても、「もう大丈夫」ではありません。まだまだ気持ちは不安定なままでゆっくり時間をかける必要があります。

少しずつ登校日数が増えていけば親は「1日でも多く行ってほしい」「少しでも早く学校に行けるようになってほしい」と思うかもしれませんが、急かさずに待っていてください。大事なのは本人のペースで進むことです。

私は再び学校に行くようになってから約3か月は途中から登校したり途中で下校したり、行ったり休んだりを繰り返していました。いつか毎日行けるように頑張っている途中なので本人も周りも焦らなくて大丈夫です。

怖くて不安で、それでも再び学校に行くと決めて足を踏み出せたら、踏み出したことを褒めてください。

もし、再び学校に行くと決めたこと、行ったことを周りが「当たり前」という言葉で片づけても自分だけは「よく頑張った」と自分を褒めてあげてください。

その1歩は他人が思っているよりもずっと大きなものです。

最後に

五月雨登校は意思表示だと私は考えています。

「行けない」

「行こうとしている」

直接は言いにくい、でも気づいてほしい意思を伝えることができなくて、行かないといけないのに行けなくて心が不安定な状態です。

罪悪感や「なんで?」「行きなさい」と言われることが嫌で親とはほとんど関わらないようになります。親も焦りや苛立ちから口を開けば学校のことばかりになりがちです。

しかし、それでは平行線どころか悪い方に向かうだけなのでコミュニケーションを取れる状態を維持することが大切です。

他愛もない会話を続けて「話したいことがあれば話せる」というだけで当時の私は心が楽になっていたと思います。

学校そのものが行けない理由になっている場合はそれを解決しないことにはどうにもなりませんが、それ以外の理由や理由がわからない場合は、落ち着いて気持ちを整理する場所と時間が必要です。

『家にいることが負担にならないように親とコミュニケーションを取り続けること』が経験上、再び学校に行くための一番の近道になると思います。

親が相談できる相手であること、家が安心できる場所であることは子どもにとってとても心強いことなのでお互いが会話をする努力を忘れないようにしましょう。


最後まで読んでいただきありがとうございました。 

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