簡単で複雑な不登校の原因 「本人にもわからない」は不思議じゃない

今回は「不登校になる原因・きっかけ」について、中学時代約一年間不登校だった私がその経験をもとに何故不登校になったのか、そのリアルをお伝えします。

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不登校の原因

不登校の児童数は年々増加し、その原因・きっかけは友人関係、いじめ、学業、家庭での問題など様々です。

これらの原因が複数重なってしまうこともあれば、些細なことがきっかけで不登校になってしまうケースもあります。


私は、はっきり「これ」と言える一つの原因があったわけではなく、複数の理由が重なって不登校になりました。

ただ、当時の私はその理由を他人に伝えても「そんなこと」と言われるのだろうなと思い、学校に行かない理由や原因を聞かれたときは「わからない」と答えていました。

ですがこの答えのすべてが誤魔化しや噓だったわけではありません。

行かない、行けない理由を聞かれてもその問いに対する答えが自分の中でもはっきりせず、それをどう言葉にすればいいのかもわからない状態だったのです。


他人からすれば『そんなこと』、でも自分には抱えきれなかった、私が不登校になった原因についてお話ししていきます。


不登校全体としてではなく、私が不登校になった原因・理由をお伝えするので、こういう場合もあるのだと一つの事例として捉えていただければと思います。

もともとどんな子どもだった?

不登校になるのは、他人とうまくコミュニケーションがとれない子どもや何かの分野で周りについていけない子どもだけではありません。

不登校になる前の私は、目立つタイプではありませんでしたが人間関係で特別目立った問題はなく、勉強も平均以上にはでき、褒められることはあっても怒られることはないような子どもでした。

そんな、周りから見れば何の問題もない子どもが突然学校に行かなくなってしまうこともあるのです。

当時の私を知っている人たちは、どうして突然不登校になったのか理解できなかったと思います。

そして、親もその原因についてはあまり理解していないようでした。

不登校の原因①

親も原因を理解していないようだったと書きましたが、一つ、心当たりはあったはずです。
その心当たりはおそらく、

私のきょうだいが不登校児だったこと

です。
そして、これが不登校になった原因の一つ目です。

ですが、これは自分も同じように休みたかったということではありません。

学校に行かないきょうだいがいるなら私だって行きたくないから行かないではなく、そのきょうだいの態度に耐えながら学校に行き続けることができなかったのです。

身勝手なきょうだいの存在

私には小学校のころから学校に行っていないきょうだいがいました。
それをずっと見ていたので学校に行かないことに対して今更特別な不満があったわけではありません。

それでも、学校に行かず、家の手伝いもせず、一日寝て起きてを繰り返す、何もしない人と同じ扱いをされることは耐えることができませんでした。

毎日学校から帰ってきてリビングの扉を開けた時、一番最初に目に入るのはソファーに寝転がっている姿です。

後ほど原因の二つ目三つ目としてお話ししますが私は学校が好きではありませんでした。しかしそれ以上に学校から帰ってきてその光景を見ることが嫌でした。

毎日、母が用意してくれていたご飯が捨てられているのを見ることが嫌でした。

これに対して私を含め他のきょうだいが腹を立ててイライラしているその空気が嫌でした。

平日は昼夜逆転しているのに休日だけは朝早く起きてきて出かけるときは平気でついてくることが嫌でした。

「買って」「ほしい」「したい」自分のわがままばかりを主張することが嫌でした。

自分の希望は聞いてもらって当然でみんながしてもらっていることは自分もしてもらって当然だと考えていることが嫌でした。

そして何より「一番ストレスが溜まっているのは自分だ」「自分がこうなったのは周りのせいだ」「自分は何も悪くない」「何があっても悪いのは全部周りだ」と本気で思っていて、私たちをストレスのはけ口にしていることが嫌でした。

そのきょうだいは自分には非がないと思い込んでいるので、本人以外にはつっこみどころ満載の主張でも「自分は周りを責められる立場、自分の主張で非を認めさせることができる」と思っていました。

しかし、反論されると言い返すことができなくなるので、その苛立ちを言葉ではなく行動で返してきました。

母は仕事でほとんど家にいなかったのでその日何があったのかは、リビングの状態か、私たちが話す内容でしか把握できませんでしたが私たちが嫌な思いをしていることは十分理解していました。

ですが母は、意識的に一人だけ他のきょうだいと違う対応をとるということができない人でした。

嫌な思いをしていることを理解しているとはいえ、母は話で聞くことがほとんどでその場にいることが少なかったので、そのきょうだいに対する私たちの態度を見ていると「さすがに冷たすぎるのではないか」と感じてしまい、意識的に他のきょうだいと違うように関わることはしませんでした。

私たちに対する申し訳なさと、そのきょうだいをひとりにはできないという気持ちで板挟みになりながら、母はたくさん考えて行動してくれていました。


けれどそんな母にその不登校児は

「自分だけが何もしてもらっていない。自分が一番我慢している。」

と、言うのです。

私はもう耐えられなくなってしまいました。

我慢して我慢して我慢して何とか保っていた毎日が維持できなくなりました。

こんな人のせいで毎日我慢して、嫌な思いをして、耐えて、心の余裕がなくなって、泣いて。

それでも「自分は我慢しないと母がもっと嫌な思いをする。」そう思って必死に大丈夫だと言い聞かせました。けれど与えられるものは何一つ変わりません。

もういいや
私は頑張ることができなくなりました。


今は文字に起こしているので何が嫌だったのか、かなりはっきり認識していますが当時はもっと感覚的なもので、何が嫌なのかを認識するよりも先に感情が湧いて、その小さな嫌な感情が消化できないまま積み重なっていきました。

私は自分の感情や主張を外に出すことに抵抗があったので、せめて言いたくても言えないストレスをためないようにと、それらを自分の中でもはっきりさせないようにしていました。

そのため、その抽象的な感情や主張を自分自身が認識するころにはもう、限界が来ていました。

これが私が不登校になった一つ目の原因です。

不登校の原因②

二つ目の原因は一つ目とは異なり、かなり早い段階から嫌なことだと自覚していてずっとプレッシャーを感じていたものの、行かなくなった原因として占める割合は一番小さく、学校に行かなくなった原因というよりも学校が嫌になった理由の一つです。

実力以上の期待

みなさんは小学生の頃テストで何点くらいとっていたか覚えていますか?
中学に上がってテストを受けて「小学校のテストは簡単だったな」と思ったことはありませんか?

過去になってしまえばその程度でも、当時はテストで100点をとっている子は「すごい」「賢い」と言われる存在だったと思います。

私はそれを周りから言われる側でした。

授業で渡されるプリントはいつも一番早く終わって、クラスのほとんどがやり直しだと言われる宿題は一発合格で、テストはほとんどが100点でした。

これの何が問題なのかと思われたかもしれませんが、問題なのはこの先です。

テストが返却されるとき、必ず最初にクラスの子が「100点の子がいるのかどうか」を確認していました。

そして先生が「今回100点は、〇人いました。」と言って100点の子だけが先に名前を呼ばれ、他の子は出席番号順にテストを返却されていました。

私はよく100点で名前を呼ばれていたのでテストが返却される度に「みことは今回も呼ばれるんだろうな」と周りに言われ、名前が呼ばれると「やっぱり」「まあ、いつも呼ばれているから」とそれが当然であるかのように言われました。

100点がとれず名前が呼ばれなかったり、100点の子がいないときは「え、みことが100点じゃないの珍しい」「みことでもミスするんだ」と言われ、深い意味は無いとわかっていてもその言葉に『できないといけない』プレッシャーを感じていました。

中学に上がって塾に通っても「みことは自分たちとは頭の出来が違う」「みことができないなら自分たちができなくても仕方がない」と言われることがあり、小学校と比べるとそういったことを言われる機会は減っていましたが、それでもその言葉を無視することができませんでした。

難しい問いを投げられると「まあ、これくらいできるだろう」と言われている気がして、その問いに答えられないと「これができないのか」と思われている気がして、できないといけないプレッシャーから定期テストでさえ緊張して体調を崩すようになりました。

最終的にはみんなが理解するようなことを周りより少しだけ先に理解できたというだけで頭がいいわけではなく、周りが思っている以上に平凡なのに、できることが当然だと思われていることが苦痛でした。

不登校の原因③

最後の原因は少なくとも私の周りにはそれを学校に行けない原因だと認識してくれる人がいなかった「みんながやっていること」「それが当たり前だ」と言われるようなことです。

同じことの繰り返し

『毎日学校に行くために同じ時間に起きて準備をして同じ時間に家を出て昨日と同じような学校生活を送って同じ時間に帰ってきて次の日同じことを繰り返すために準備をして寝て、また学校に行くために起きてそれを月曜日から金曜日まで五回繰り返して休日を挟んでまた次の週同じことを繰り返す。

毎日繰り返して毎週繰り返して一か月経てばそれを毎月繰り返して一年経てばまた次の年も。

中学三年間なんとか耐えても次は高校を三年、社会人になって会社に入れば何十年も同じ毎日を過ごさなければいけない。』


繰り返される日々の中でどれだけのことができるのだろう、何のためにこれからを過ごしていくのだろう、と先のことを想像すればするほど、当たり前だと言われる日々を送ることが怖くなりました。

もっと自由な生き方をしている人からすれば、『同じ日々を繰り返さない生活なんていくらでもあるのだからそのために行動すればいい』、その程度のことかもしれません。

ですが当時の私が想像できる未来はそんなに広くありませんでした。

今していることは何のためになるのだろう、今何をしているのだろう、と繰り返される日々の意味を考えてその答えが出せなかった私はそこで立ち止まってしまいました。

「そんなこと」と言われても

以上の三つが私が不登校になった原因です。
もしかしたらこれを読んでくださっている方の中にもあまりピンとこなかった方がいるかもしれません。

「そんなことが原因になるのか」「これってそんなに重く受け止めることかな」と。しかし私は今でもこれらのことが『そんなこと』だったとは思いません。

私が何とも思わないことが他の人にとって嫌なことになり得るように、他の人が何とも思わないことが私にとって耐えられないほどの嫌なことになり得た、ということです。

子どもが不登校になったら

子どもが不登校になれば「なんで?」と聞くのは自然なことです。

しかし、不登校になった子供に原因を聞いて答えてくれなかったとき「なんで行かないの、言わないとわからない」と問い詰めるのはダメです。

本人の中でも原因が整理できていない状態なのかもしれませんし、どう伝えればいいのか悩んでいるのかもしれません。まずは自分の中で整理する時間が必要です。

原因を話してくれた場合、「そんな理由で行かないの?」「そのくらい我慢しなさい」は絶対に言ってはいけません。学校に行ってほしいという思いからの発言であってもこの言葉はその願いを遠ざけるだけです。


理解できない原因・理由であっても本人は、いっぱいいっぱいなのでそれを無視することはしないでください。『学校に行くこと』に執着して無理やり学校に行かせても、また、同じ結果になるだけです。

時間がかかってしまっても自分の意思で次に進むことが大切なので、何も進んでいないように見えるくらいゆっくりでもどうか、そのペースを否定しないであげてください。

最後まで読んでいただきありがとうございました。


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