ドラマなどでよく見る、『父親がいない子ども』が『父親と遊ぶ子ども』をうらやましそうに見つめるシーンですが、私は正直あの感覚がよくわかりません。
ドラマのそれが間違っているとは思いませんが、フィクションだけではなくそうではない現実も1つの意見として知っていていただきたいと思います。
ひとり親家庭で育つことは特別ではない
昨今ひとり親家庭は珍しくありませんが、割合で言えば全体の1割ほどです。
一般的だとは言えませんが、私はひとり親家庭を特別だとも思いません。
私はひとり親家庭で育ったので、そうではない人がひとり親の元で育つ子どもに対してどんなイメージをもつのかはわかりませんが、少なくとも子どもの立場にいた私にとって「母子家庭だから」が理由になるようなことはほとんどありませんでした。
親の立場であれば、「ひとり親だから」が理由で大変な思いをすることはたくさんあって、そこに関しては両親がいる家庭と同じではないと思います。
ですが自分自身が、両親がいる家庭で育った他の子と違うという意識は持っていませんでした。
「いない」が普通
両親がいることが当たり前の方からすれば、ひとり親というのは欠けているという認識なのかもしれません。
私の家は私が小学校にあがる頃には母親しかいなかったので私にとっての家族はそういうものです。
母親しかいないことが当たり前で、家に父親が存在しないことが当たり前です。
しかし、幼少期からではなく父親と母親がいる家庭に慣れてしまってからひとり親になった場合はまた違ってくるとは思います。
「ひとり親の元で育つ子どもはかわいそう、寂しい思いをしている。」というのはそれぞれが考える家族の形の違いからくる意見ではないでしょうか。
私にとって家族構成の『父親』の席は空席ではなく、そもそも席がない状態です。外からは空席に見えていても実際そこに席は存在しません。そのため、父親と母親の両方の席がある人と比べても自分は欠けていると思ったことがないのです。
両親がいる家庭で育った人にとって父親と母親がいることが普通であるように、母子家庭で育った私にとって父親がいないことが普通なのです。
周囲との違いを実感することは?
とはいえ、やはり父親の話題になったときは気まずさや疎外感があるのではないかと思われるかもしれません。
ひとり親家庭は全体の1割で周りには両親がいる子がほとんどでした。
お父さんについてのエピソードを聞くことも、学校行事にお父さんが参加している様子を見ることもたくさんありました。
しかし結論から言うとそれらに対して、
特に何も感じません。
前述のとおり父親に関して私自身は欠けている、不足していると思ったことがないので自分が周りの家とは違っていても、その『周りと違っている部分』が自分にとって必要なものだと感じたことがありません。
そのため他の子がお父さんの話をしていても「へぇー」と思うくらいで、むしろ記憶では他の子のエピソードを聞いて「いなくてよかった」と思ったことの方が多い気がします。
そういったことを気にしない性格だったことに加え、母が父親がいなくても不足を感じないように生活を成り立たせてくれていたので、周りの話を聞いて「父親ってどんな感じなんだろう」と、家の中に父親がいることを想像してみても「いろいろ窮屈になりそうだな」と思うだけでした。
父親がいないことに関して深く考えたことはないので、考えて出た結論ではなく自然とそう認識していたとしか言えませんが、私にとって父親という存在は「別にいなくてもいいんじゃない」程度のものでした。
そのため周囲と違っていても気まずさや疎外感を覚えることは一切ありませんでした。
それでも、違いを感じる瞬間はあったのでその違いについてはこちらでお話ししています。
母の不安
私自身は父親がいないことを気にしていませんでしたが、母はいつも『母子家庭であること』を気にしていました。
「我慢をさせているから」「一緒にいる時間がなかなかとれず寂しい思いをさせているから」と、子どものわがままを許して望むことはできるだけ叶えようとしてくれていました。
でも、実際はそんな埋め合わせをする必要がないくらい、父親がいないことを感じない生活を送らせてくれていました。
それなのに、きょうだいの中には母の思いを知ったうえでそれを利用してわがままを聞いてもらって思い出したかのように「自分は我慢をしているのだから」と言う人もいました。
わがままを聞いてもらうためだけで本音ではなくても、子どもから言われたこの言葉はきっと母を傷つけたと思います。
子どもに与えようとしてくれる行動のほとんどから『母子家庭だから』を気にしているのだろうなと感じるほどでしたが、私はそのことについて母が気負う必要はないと考えています。
「母子家庭になった原因が母親側になくてもひとりで育てるからには母子家庭であることに責任をもつべき」という意見もあるでしょうが、それはもう、周りと違いを感じないほどの生活をさせてくれただけで十分でしょう。
だから、何も気にする必要なんかないのに子どもに対してずっと申し訳なさを感じている母に、子どもが思っていることを知ってほしくて、日常の会話の中で父親の話題がでたときに私は「父親をほしいと思ったことがない。」と伝えました。
すると母は「そうなの!?、そういうものなんだね。」ととても驚いた様子でした。
私の言葉に対して母が何を思ったのかは正直わかりません。
案外何ともないのかと言葉のまま受け取ったのかもしれないし、自分のせいで普通とは少し違うことを普通だと思わせてしまった、と余計に自分を責めたかもしれません。
ですがこれが、母が私たちにしてきてくれたことに対する応えです。
意外と子どもの方が何とも思っていなくて親の方が気にしすぎなのかもしれません。
まとめ
父親がいないことに対して母子家庭で育った私が正直な考えをお伝えしてきましたが、これはいろいろな思いや考えのうちの1つです。
一概に「みんながこう思っている!」と言えることではありませんし、「いくら考えても本人に聞いてみなければわからない」と言ってしまえばそれまでです。
ただ、1つ確かなことは、寂しいかどうかを量るのは他人ではないということです。
もし誰かに「子どもは寂しい思いをしている」と言われようとそれを決めるのは外にいる他人ではなく、その環境に身を置く本人です。
周りに何かを言われて「寂しい思いをさせているかも」と親が『ひとり親であること』を気にしていても、子ども自身は私のように何とも思っていない可能性もあります。
不安になって考えて、参考にしたいと誰かに意見を求めても、耳を傾けるべき意見は見失わないようにしてください。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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