ひとり親の元で育った子供は、寂しさや愛情不足からわがままになってしまうと思われている方もいるでしょう。しかしそんな考えがある中で逆に、しっかりしているというイメージを持っている方も多いと思います。
実際に母子家庭で育った私はこの「母子家庭で育った子供はわがまま」にはYESとNOの両方が言えると考えています。そして「母子家庭で育った子供はしっかりしている」にも同じことが言えます。
この記事では、4人きょうだい母子家庭育ちの私が実際のエピソードを基になぜわがままになるのか、逆になぜしっかりした子になるのか、母子家庭であることがどう関係していると考えられるのかについて詳しくお話ししていきます。
「母子家庭で育った子供はわがまま」はYES
まず、母子家庭で育った子供がわがままだと言える理由は、きょうだい4人のうち2人が、私視点ではあり得ないと思ってしまうほどわがままだったからです。
その2人は、してもらえることが当然で、希望を言えば叶えてくれると思っていたので、周りに何かを言われても望みどおりになるまでは決して引き下がることはありませんでした。
母は良くも悪くも子供に与えるものは平等にしたいと考えていたので、1人がわがままを言うと全員の要望を聞こうとするような人でした。きょうだい全員がそれをわかっているはずなのに、4人のうち2人は我慢するということを知らないのかと思ってしまうほど「したい、ほしい」を主張して、本当に周りなど関係なく自分のやりたいことしか考えていませんでした。
それなのに口では母のことを好きだと、自分が一番母を想って母のために行動しているなどと言っていたので、私は心の中で「よくもまあ。言ってて恥ずかしくないのかな」と。しかし、この矛盾に本人は全く違和感を覚えていなかったので、もうしてもらうことが当たり前すぎてそれがわがままだと認識することができなくなっていたのだと思います。
「母子家庭で育った子供はわがまま」はNO
YESは「4人のうち2人がわがままだったから」ということは、NOは4人のうち2人がそうではなかったからということです。
私たち2人は、「我慢して他の子に譲ること」を覚えたのが周囲よりも早かったと思います。
4人きょうだいなので、やりたいことやほしいものの主張はいつもバラバラでした。行きたいところを決めるとき、選択肢の中から自分の好きなものを選ぶとき、意見が分かれたり意見が被ったり、全員が一致して決められたことはほとんどありませんでした。
それでも最終的にどれかに決まるのは、4人のうち2人が自分の意見を主張することをやめたからです。
母1人でそれぞれの願いをすべて叶えるのは大変なことだと理解していて、意見が分かれていつまでも決まらないとそのすべてを叶えようとしてしまうことも知っていたので、母の負担にならないために「決まったところでいい。残ったものでいい。」と他人の意見を優先させていました。
ですが2人が我慢をして譲っても残りのわがままな2人が引き下がることはなく、どれかに決まるとは言いましたがそのときはというだけで結局日をわけてもう1人の希望も聞いていました。
不平等で我慢をするだけ損でしたが、現実的に母ができることは限られていたのでわがままを言っている自覚がなくわがままを言い続けるきょうだいがいればその分誰かが我慢をするしかありませんでした。
小さいころから、状況をみて自分がとるべき立場を考える機会が多かったからなのか私は普段の生活で周囲から「大人っぽいね」「しっかりしてるね」と言われることがよくありました。
母子家庭がどう関係してるのか
YESとNOの理由をそれぞれお話しして、わがままにならないのは「母の負担にならないようにと考えていたから」だとお伝えしました。では、わがままになることには母子家庭であることがどう関係しているのでしょうか。
よく、寂しさからわがままになると言われていますが、私のきょうだいの場合は違っていました。
4人のうち2人がわがままになったのは、寂しいからではなく寂しい思いをさせているという母の負い目を利用していたからです。
シングルマザーで、母子家庭だからと不自由な思いをさせないように頑張っている方はたくさんいると思いますが、私の母はその思いがとても強く、自身の「しんどい、楽をしたい」を子供より優先することはありませんでした。
働き続けて迎えた休日は十分な睡眠をとってゆっくり過ごしたかったはずなのに、日頃から子供と過ごす時間を取れていないからと必ずリクエストに応えてどこかへ出かけて、ほしいと言われたものは普段から我慢をさせて寂しい思いをさせているからと何でもない日に買ってくれて、やっととれた時間も働いたお金も自分のために使うことを全く考えていないようでした。
2人は、そんな母の気持ちを利用していたのです。
特別寂しいと感じているわけではないのに、「母がそう思って色々してくれるならそれでいいや」と母の思いに甘えて、甘やかされて、その結果わがままを言っていることに気づけなくなってしまったのです。
甘やかされているうちに、自分はそうしてもらって当然だと思い込んで、他のきょうだいが我慢をしていても「勝手に我慢をしているのだから自分には関係ない。誰かが我慢をすればその分自分の希望を聞いてもらえるようになる」としか思っていませんでした。
私が、父親がいないことを寂しいと思ったことはないと母に伝えても、甘やかしすぎだと母自身がわかっていても、母の「寂しい思いをさせている」という気持ちが小さくなることはありませんでした。
ただ甘やかしているだけではないからこそ適切なラインを見極めることが難しいのではないかと思います。
まとめ
母子家庭で育つと、母親の「不自由をさせたくない」がいきすぎて甘やかされた結果、わがままになってしまうことがあります。しかし、母親に負担をかけないようにわがままを言わない子どもになることもあります。
そのため、必ずしも母子家庭で育つことでわがままな子どもになるわけではありません。
母子家庭を理由に子どもに与えようとするのは、それだけ不足を感じさせないようにしてくれているということですが、私はそれにこだわりすぎる必要はないと思います。
母子家庭であることを理由に子どものために行動する必要がないとも、与えることが悪いとも思いませんが、そこにこだわりすぎると不足を補おうとするあまりいつのまにか過剰になり、親は甘やかしていることに気づけなくなり子どもは甘やかされていることに気づけなくなってしまいます。
そのラインを見極めることは難しいですが、「させてあげたい」「してあげたい」を理由にすべてを受け入れてしまうのではなく、どこまで受け入れるのかというラインを設定することが大切だと思います。親がラインを越えないように行動し、子供がそのラインを認識して行動できることが少なくとも私の経験上一番いい形であると考えますが家庭によっては難しい場合もあるので、最低限親自身がラインを設定しておくことは必要だと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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