入学式、参観日、運動会、音楽会、卒業式。
学校行事を日々の様子、成果を親に見せるための催しだと捉えている人は多いと思います。そのため、「当然、親は学校行事に行くものだ」と考えている人も少なからずいるでしょう。
しかし、ひとり親に限らずそうしたくてもできない親がいるのが現実です。そして、それを申し訳なく思っている親御さんも多いのではないでしょうか。
この記事では、正社員として働きながら4人の子どもを育てたシングルマザーの母が学校行事に参加していた(観に来ていた)のか、母子家庭で育った私がその状況をどう思っていたのかについてリアルな意見をお伝えしていきます。
学校行事に母は来ていた?
まず、正社員として働いていた母が学校行事を観に来ていたのかについてですが、
基本的に学校行事には来ていませんでした。
仕事の休憩中に抜けられるときは一瞬だけ顔を見せに来てくれていましたが本当に一瞬で、その一瞬のうちに私たちが気が付けば手を振ってくれて気が付かなければ母が来たかどうかわからないというような感じでした。
ただ、運動会はプログラムを観ることはできなくても「お昼ご飯だけは一緒に食べてあげたい」と毎年お昼の時間だけは必ず来てくれていました。
そんな母ですが入学式と卒業式は必ず仕事の休みを取って最初から最後まで参加してくれていました。
親が来ないことをどう思っていた?
これについては、きょうだいによって意見が分かれていて、来てほしいと思っていたり、どっちでもいいと特に気にしていなかったり、様々でした。
母は可能な限り行ってあげたいと思っていたようですが、私は無理をせず仕事を優先してほしいと考えていたので「来なくていい」と伝えていました。
私自身が学校行事を、忙しい中わざわざ来るようなものではないと思っていたことに加え、親が来ないことに特に何も感じなかったので、学校行事に来てほしいと思ったことは1度もありません。
ですが、先程お伝えしたように親には観に来てほしいと思っているきょうだいもいました。
そのきょうだいは日常的に母子家庭であることを意識しているような子だったので周りが「お父さん来てる」「お母さん来てる」とそわそわしている状況に疎外感を覚えていたのかもしれません。
『仕事が忙しくて親が学校行事に来られない』というのは何となく「かわいそう」「寂しい思いをしているのではないか」と捉えられがちですが、このようにきょうだいでも思いはバラバラだったので必ずしも来ないことを寂しく思っている、気にしているというわけではありません。
親が来られなくても、私には母が来ないからこその楽しみがありました。
代わりにしてくれたこと
母は仕事ばかりで学校行事に参加できないことを気にしていたので、行事の日はいつも代わりにしてくれていたことがありました。
その、代わりにしてくれたことというのは
お弁当に手紙を入れることです。
お昼のお弁当にはいつも母からの手紙が入っていました。
メモ用紙や便箋に「行けなくてごめんね、頑張ってね」という内容の文章が書かれていて私はそれを読むことがとても楽しみでした。
母が来られないことは全く気にしていませんでしたが、こうして気にかけて忙しい中「少しでもできることを」と考えてくれていたことがとても嬉しかったです。
お弁当の手紙以外にも運動会のときは頑張ったで賞で何かを買ってくれることがありましたが、正直そこまでしてもらうほどのことではないと思っていました。
母が気にかけてくれている、それだけで十分でした。
まとめ
4人の子どもを育てながら正社員として働いていた母は学校行事にはほとんど参加していませんでした。
母には観に来てほしいと思っているきょうだいもいましたが私自身は観に来てほしいと思うタイプではなく忙しいことも理解していたので観に来られないことについて特別何かを思ったことはありません。
ですが学校行事に行けないことを気にしていた母は毎回お弁当に手紙を入れてくれていて、私はいつもそれを楽しみにしていました。
代わりのことをしてほしいと思ったこともありませんが、こうして気にかけてくれていたことは子どもとして素直に嬉しかったです。
親が来ないことをどう思うのかについて個人差はありますが、まったく気にしない子もいれば忙しい合間を縫ってできるだけ来ようとしてくれるだけで十分だと思う子もいるので個人的には無理に学校行事に参加する必要はないと思います。
休みのタイミングが合わせられたときや時間に余裕があるときだけだったとしても、参加しようとしてくれていることは子どもに伝わると思います。
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
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